再び雑務をこなす日々が続く。  演説の評判は悪くなかったようだ。国民は俺を帝位継承者として支持してくれている……と思いたい。  このまま父の不在を隠したまま、帝都で過ごす日々が続くのだろうか。今、父の代わりに前線に立つ勇気はない。 「殿下、お客様ですが……どうしましょうか?」  ノックの後、部屋の外からラムゼイスの声。この時期に、俺を訪ねてくる客なんて…… 「誰だ?」 「クランドルフという教士の方です。何か渡したいものがあると」  クランドルフが? 新聞でも見て俺がマーシュだと気付いたのだろうか。しかし渡したいもの? 見当もつかないな。 「通してくれ」 「了解しました」  そんなやりとりをして、しばらく待っていると部屋のドアがノックされる。 「お客様をお連れしました」 「ああ、入ってもらってくれ」  ドアが開き、ラムゼイスに連れられてクランドルフが入ってきた。手には細長いケースを持っている。 「お久しぶりです、殿下」  先にクランドルフが口を開く。アシュレムとして会うのは初めてだが、クランドルフの様子は旅の中でマーシュとして会った時と何ら変わりがない。 「いつ気付いた?」 「最初からです。一目見た時からわかりましたよ」  なんと。知っていてあんな、祖父様の話とかまでしてたのか。 「で、何か俺に渡したいものがあるらしいな。そのケースか?」 「あ、はい。ですがその前にこちらを……」  と、クランドルフがポケットから取り出したのは……密封された袋に入った布だ。 「ああ、間違えました。これは……ラムゼイスさんでしたっけ? あなたに差し上げますね。どうぞ」  その何かを、お茶を用意しているラムゼイスに手渡す。 「私に? 開けてもよろしいですか?」 「ええ、どうぞ。匂いを嗅いだらわかるかも知れませんよ」  そう言われて素直に、袋を開けて鼻を近づける。するとその表情は一瞬で驚きのものに変わった。 「これはこれは……結構なものをいただいてしまって……ありがとうございます」  ラムゼイスには何だかわかったらしい。この男が喜ぶものなんて限られているが…… 「それ、何なんだ?」 「殿下が村に来たとき、置いていった下着です。見覚えありませんか?」  うええ? そう言われてみれば確かに、旅中によくはいていた安物の下着とよく似ている。しかし…… 「俺、忘れていった記憶はないぞ」 「あの時殿下の下着を、洗濯する代わりに丁度良くあった新品と交換させていただきました。なのでこれは正真正銘、殿下が身につけていた下着です」  ……なんということをしてくれたんだ。 「風味が劣化しないように、きちんと保存しておりましたので、匂いや汚れなどは当時のままです」  そういうのも風味って言うのか? なんという無駄な労力を。 「ああ、殿下の匂いが……大事に使わせていただきますね」  むむ。なんという反応に困ることを。恥ずかしいようなどうでもいいような。まあ、ラムゼイスならいいか。 「で、本当の用事は?」 「ああ、それはこちらです」  今度は封筒だ。ええと、グファイトからアシュレムへ。って…… 「何だ、祖父様からならそう言えばすんなり通してくれたのに」 「おや、そうでしたか」 「そうですよ。その封筒を見せていただければすぐにお通ししましたよ」  この異常に几帳面な筆跡、まさしく祖父様の字だ。それで一発だっただろうな。 「まあいい。大した手間の違いじゃなかっただろうからな」  とりあえず封筒の中の手紙を開く。内容は……  ふむ。とりあえず父は絶対無事だ、ということらしい。同じような経験があるからわかる、と。それを伝えるためにわざわざ手紙をクランドルフに持たせたのか。 「グファイト様はバカ息子……じゃなくてガルヴェイス陛下が無事である、ということに確信を持っているようでした。ですから殿下、そのことに関しては気にする必要はないと」  祖父様がそう言うならきっとそうなのだろう。父のことを心配する必要がないとなると、それだけで心に少し余裕ができた気がする。 「わざわざありがとう。祖父様には落ち着いたら会いに行くことにするよ」  手紙の返信は必要ないだろう。直接会って話せばいいのだ。 「それが良いと思います。本当は自分で会いに来たかったようでしたから」  ああ、祖父様ももう歳だし、脚も悪いからな。自重してくれて良かった。 「それで、もう一つお渡しするものがありまして。こちらです」  クランドルフは持ってきたケースをデスクに置く。結構大きいな。 「開けていいのか?」 「どうぞ」  丈夫そうなケースを開ける。中に入っていたのは…… 「剣、か。これは……白と黒?」 「そう聞いています」  魔剣・白と黒。いつからか皇帝が持つ剣とされているものだ。刻み込まれた魔術の組み方は芸術的で、同じものを作るのは難しいとされる。 「これを……俺に?」 「はい。ガルヴェイス陛下は使わないようなので殿下に渡せ、と」  これはつまり、祖父様が俺を信頼してくれている、と捉えていいのだろうか。使い方はわかる。剣を手に取り、軽くイメージしながら抜くと、それだけで刀身が見えなくなった。 「それはどのように使うものなんです?」 「これの使い方は大きく分けて二つだ。一つは今みたいに隠すことだ。刀身だけでなく、柄や鞘まで消してしまえば暗殺なんかには便利だろう」 「物騒ですねえ」  まあ、もちろん俺はそんなことはしないが。 「もう一つは、逆に目立たせることだ。武器としてよりも、象徴的にかざしたりするんだ。こんな風に」  俺は抜きはなった剣を掲げた。そのまま頭の中でイメージすると刀身が光り輝いた。 「こうやって人を導くんだ。誘導灯みたいなものだな」 「何だかついて行きたくなりますねえ。虫になった気分です」  確かに夜中にこんなもの振り回したら蛾でも寄ってきそうだ。 「しかしこれを持つと、前線に立たなきゃいけない気がしてくるな。いい機会だ。ちょっと前線の様子を見てくるか」 「おや、お気を付けて」 「お前も来るか? クランドルフ」 「止めておきます。戦場はちょっと苦手で」  ああ、そういえばそんなことを言っていたな。昔のトラウマみたいなものだったか。 「お供しましょうか?」 「いや、お前には帝都のことを任せたい。俺がいない間のことを頼むぞ、ラムゼイス」 「はい。無事で戻ってきて下さいね」 「ああ。無理はしないようにする」  前線にはベテランの軍人が何人もいる。出しゃばらなければそんなに危険はないだろう。 「では私は他にも寄る場所がありますので。落ち着いたら一緒にグファイト様に会いに行きましょう」 「ああ、それじゃあまた」  クランドルフを見送ったら、準備をして出掛けよう。